神社は、キリスト教なのか

明治維新で日本を変えたのは、言わずと知れた薩摩藩が中心。

薩摩の歴史を調べてみると、

56代天皇の子孫である源義朝が、薩摩藩の地頭として、

渡来氏族「秦氏」の血を継ぐ、島津家を充てた。


渡来氏族「秦氏」とは?

秦氏は、新羅経由で日本に来たが元々はチベット系のチャンミン族。

彼らは失われたイスラエル10部族のひとつであるマナセ族の末裔。

エンジニア集団であり、政治的な成功を求めず経済的な成功を求めた一族。

様々な政治環境のもとで、経済的に生き延びてきたとされる。

古墳が巨大化したのも、秦氏の土木技術。

秦氏一族は、 原始キリスト教徒であるらしい。

それは、秦氏が設立にかかわった宗教的な建物や習慣に、

ヘブライ語や旧約聖書の儀式・慣習といったユダヤ性だけではなく、

新約聖書からの教理や教えが、含まれているからだ。

また、秦氏は古事記(神話や伝説、天皇の始まり)にも深くかかわっているのである。

秦氏が関わったとされる建物


●稲荷神社

東方キリスト教では、イエス・キリストのことを、 「INRI」と表現する。

これを読むと「インリ」、すなわち、「イナリ」となり、「稲荷」は当て字ととれる。

秦氏はイエス・キリスト神社として稲荷神社を建てたのかもしれない。

最初に建てられた安閑天皇の時代、稲荷神社は、和歌山県有田市の糸賀稲荷。

建立時の稲荷神社は霊験あらたかで、瞬く間に日本全国へ広がった。

狐が祀られるようになったのは、後の8世紀になってからで空海による後づけだ。

●伊勢神宮

神道用語で「造化三神」である、アメノミナカヌシ、クニノトコタチ、ウカノミタマは、

明らかにキリスト教の三位一体(父なる神、子なる神、聖霊)と似ている。

外宮には、アメノミナカヌシこと、父なる神(ヤハウェ)が祀られ、

内宮には、アマテラスこと、子なる神(イエス)を祀ったという説もある。

伊勢神宮は、イセ神宮、イエス神宮とも聞こえなくもない。

●四天王寺

四天王寺は実は神社であり、玉造(たまつくり)の地に

あったことがいくつかの文献にある。

イナリの神が祀られ、聖徳太子はそこで戦勝祈願した。

587年に最初に建てられた地には、

現在は「玉造稲荷神社」が建っていて、鳥居は赤くなく、西向きであり、

現在の、四天王寺の西門には、神社でないのに鳥居がある。

●宇佐八幡宮

現在応神天皇が祀られている宇佐八幡宮は、秦氏が創建した全国の八幡神社の中心であり 

そこには本殿が3つあり、本来は3つの神(三位一体の神)が祀られていた。

「八幡」とは、元々「ヤハタ」と読み、

「ユダヤ」を意味するヘブライ・アラム語の 「ヤェフダー」、

あるいは、「秦氏の神」の「ヤハ・ハタ」から来ているとされる。

749年に、ここから初めて神輿(みこし)が登場したが、

神輿は旧約聖書の「契約の箱」に酷似している。


●秦一族は古代の技術・経営エリート

秦氏が得意とした鍛冶とは、木、火、土、水、金を制御するテクノロジー、

当時の日本人にとっては奇跡にも近いワザだった。

ちなみに、東洋の五行である、木火土水金の五行をもって宇宙の構成要素としている

鍛冶とは自然をあやつり、そこから光り輝く銅や鉄を生み出す神秘の所業でもあった。

九州北部・近畿の銅山に展開された銅を生産するマネジメントは、

秦氏および関連の一族によってなされたものとされる。

火を制御する鳥が鍛冶シャーマンのシンボルであり、

秦氏の場合、神の鳥のシンボルは「鷹」だった。

秦氏は、鍛冶の技術をよく営み、金属器をよく鋳造したので、

必然的にシャーマン的色彩を帯びている。


テクノロジーは時に魔法にも神の業にも見える。

古代において技術者は祭祀者でもあった。つまり、ものづくりとは、自然に働きかけ、

そこから神秘に満ちたモノやコトを生み出す神聖な所作であった。


ものづくりの原風景が秦氏界隈には沢山ある。

秦氏は日本に養蚕、ハタオリの技術をもたらした一族でもある。

蚕を飼い、その蚕がつくる繭から生糸を紡ぎだし、あでやかな絹織物に仕立て上げる。

艶やかに絹で織られた着物を着る人々は羨望の目で眺められたことであろう。

ちなみにサンスクリットでハタは「絹の布」をさす。

上記の話は、一説もあるが、

秦氏は大和朝廷時代から、技術、産業、軍時などで、

深く関わった数多くの事実があきらかになってきている。

ということで、日本人のものつくりや知恵、そして神も、

秦氏、原始キリスト教が、ルーツなのかもしれない。


神谷勇禅

S p i r i t u a l T r a v e l